パソ吉の合格体験記

 

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■このページについて

このページでは、パソ吉が実際に第二種電気工事士を受験したきっかけを書いています。合格するに至った経緯は特に書いてありません。(試験とはあまり関係ありません)

今回のWEBサイト再編集・公開にあたって、新たに今、考えたあの時この資格を取得しようと思った理由を考え、書き加えたいと思います。くどいようですが、このページはパソ吉について知りたい方のみご覧ください。

受験に関する勉強方法等は、特に各種おすすめ参考書ページをご覧ください。おすすめ参考書ページについてはトップページのメインコンテンツから飛ぶことができます。


■パソ吉の合格体験記

今日は、未だかつて誰にも話したことのない、第二種電気工事士を受験しようと思ったきっかけについて書こうと思います。

私が第二種電気工事士の資格について知ったのは、小学4,5年生くらいのときでした。その頃はまだ、我が家にインターネット回線が入っておらず、インターネットは亡くなったお爺ちゃんの家に行った時だけできる特別なものでした。

それはさておき、その頃は頻繁にDIYとか工作系のサイトをネットサーフィンしていたと記憶しています。その時たまたま出会ったのサイトが、 DIY日曜大工で家をつくる……セルフビルドのノウハウというサイトでした。(一度ご覧になってみてください。できることは自分でやってしまおうという姿勢がおありのすばらしい方です。尊敬します)

信じられないことですが、このサイトの管理人さんは自分の手で家を建ててしまっています。そこに、家の中の配線をするには、「第二種電気工事士」の資格が必要だ。 逆に、第二種電気工事士」の資格さえあれば、分電盤以降の配線はほぼすべて自分で行える、とありました。

あんな、バチバチしていて危なそうなものを、簡単に扱えてよいものか。と、当時は本気で考えていました(笑)。この頃から、「便利そうだし将来、趣味で取ろう」と考えていました。

が、中学校が忙しくなって記憶の彼方へ……

そして時は流れて、中学1年生(2011)の終わり。まだ東日本大震災前でしたが、起立性調節障害により体調不良に。夜寝ることが難しくなってしまい、また午後から学校に行く意味も全く感じられず不登校になってしまいました。

そして中2冬、何故かまた件のサイトへ訪問し、第二種電気工事士の取得を決意しました。中3春、前期日程で申し込みました。

およそ9,000円の受験料が高く感じ、恐る恐る支払いました。(幼少期より中学生まで特に使うことなく貯め続けてきた貯金通帳からです)その頃までは、あまりお金を使うこと機会がありませんでしたから、「使い方」が全くわかりませんでした。父が倹約家なので、私も感化されてケチでしたのでほとんど使わない貯金でした。(最初の一歩です。怖かったなあ(^^))

受験に必要な参考書等を揃えていくうちに、お金をつかうことを覚えてしまい、無駄遣いもしてしまいました。(-_-;)。その後は反省し、なんとなく金銭感覚が身についた気がしますので善しとしています。(反省)

とは言え学生でいるうちに、アルバイト・学業の両立はとてもじゃないですが出来ない身体です。ここで白状してしまうと、ブログに広告やアフィリエイトを貼り付けて、書籍代を稼いでみたり、クーポンやポイントを気にして買い物するようになりました。

体調が悪くなった今でも、今だからこそ、時間=お金≒健康の考え方を持つようにしています。(ブログ等については広告やアフィリエイトリンクこそ貼り付けていますが、正直な気持ちを書くようにしています。ただの一度も買い物をしてもらうために文章を書いたことはないことも書き加えておきます) 

巷ではよく、
「お金で心は買えないよ」
と言いますが、お金を持っていることと心の豊かさは別に考える必要があるのかな、とも思います。お金を持っていないと、使わないと食べていけないですし、学ぶこともあまりできません。これは事実なんです。

でも、お金がない人でも素晴らしい心の持ち主は居るものです。お金がある人でも素晴らしい心の持ち主は居るものです。最近言われている、「お金を持っていることが悪いこと」の思考回路が理解できません。

話がずれてしまいましたごめんなさい。閑話休題で話がぶっ飛びますが、その後筆記試験をパス(合格)して、技能試験もパス。そして、合格証が届き、それを「日本電気協会」に証明写真とともに送付して、免状交付となりました。

学習の途中、YouTubeに技能試験の練習の様子をUPしてみたり、ブログを書いてみたりして、いろいろな人と交流できました。これはとても嬉しかったです……。体調不良に悩み、学校の勉強もうまくいかず、
「自分に何ができるのか」、
「自分の存在意義ってなんだろう?」
と、露頭に迷っていた時期でしたから、なおのこと嬉しかったです。私は幸せ者だと思います。

この場を借りて、私と交流してくださった皆様、練習方法の間違いや効率的な練習方法等を指摘してくださったYouTubeやBlogにコメントしてくださった皆様、Twitter等のSNSで仲良くしてくださっている皆様、そしていつも身近で支えてくれている家族、当時電工試験を応援してくださった心の温かい先生方に厚く感謝いたします。体調が悪いことで色々とご迷惑をお掛けしますが、今後共、ご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

パソ吉

2014年5月 初稿
2015年5月 改訂

 

■今思う当時の受験理由

私が第二種電気工事士を受験しようと考えていたのは、中学3年生の頃でした。当時、私は起立性調節障害という病気で「何もできない自分」に対して絶望していました。

こんなことを書くのは初めてかもしれませんが、私はこの病気を発症するまで勉強がよく出来ていました。テストも当然のように上位に入っていました。当時の私が考えていた将来の展望は「ナンバースクールの進学校に入って、いい大学に入って、技術者か研究者として活躍するんだ!」と本気で思っていました。

しかし、この病気によって勉強どころか、登校すらままならなくなりました。最初は鞭打つように通っていましたが、落ちこぼれていく自分に絶望しました。

そこで、東日本震災が来ました。不幸中の幸いですが、私の住んでいるところは津波が来るような場所ではなく、家の損傷も大したことなく、ライフラインが全滅したくらい済みました。

真っ暗な部屋で家族と過ごす中、私は考えました。

「こんな中で電気が使えたらな……」

電気があれば、明かりがつきます。それどころか、簡単な調理もできるでしょう。実際、東北電力はたったの3日間で停電を復旧させてくれました。第一種電気工事士を持っていて、かつ、どこかの電気工務店に勤めていたならば、この復旧作業が電力会社から依頼されていたでしょう。二種でも発電機への配線接続が自分でできます。緊急時は本来は禁止されている露出配線なども許され、規制緩和されます。第二種電気工事士でもかなりの作業ができるのです。

災害時、もう一つ使えなかったものがあります。それはテレビです。私の家はCATV(ケーブルテレビ)だったので、送電線(CATV)が切れていたため見れなくなったのです。私は考えました。周りの家にある八木アンテナ(の真似をして自分で作ってしまえば、テレビが見れるのでは……?と。

私はすぐに制作にかかりました。理論もヘッタクリもない拙いものですしたが、当時地上アナログ(VHF帯)のテレビで見ていたからか、あまり厳密に制作しなくても見ることができました。(映った瞬間は感動したものです)当時インターネット回線の入っていなかった我が家にとって、貴重な情報収集手段の一つになりました。

ちょっと知識があるだけで、災害時に臨機応変に対応することができるのです。不登校・日常生活がままならない病状の自分への絶望感を捨て置いた私ですが、「第二種電気工事士」・「八木・宇田アンテナ」への好奇心で心が満たされました。

※八木アンテナは、東北大学に在籍していた八木秀次博士と宇田新太郎博士によって開発されました。(東北大の片平キャンパス研究所に行くと、様々な資料を見ることができます。その後、機会があったので見に行ってみました。アンテナを制作している大学生にも出会えました。優しく対応してくださりありがとうございました!)

その後、中3になり、周りが受験生をやっているため、私は将来について必死で考えました。現代は通信制高校というものがあります。ですので、大学受験については全く考えていませんでした。とりあえず、将来、食べつなぐのに困ってしまった時の保険として第二種電気工事士決意しました。(興味もありましたし、DIYでも使えます。いちいち、工務店の人呼ばなくても修理・交換が可能です)

さて、第二種電気工事士の受験理由の総論としては、「何かあった時の保険」という何の面白みもないものですが、将来の自立への足がかりがひとつできたことは確かです。

今、私は通信制サポート校に通いながら勉強しています。特に「数学・物理学・化学」分野で本質的なところまで理解できるようにしています。大学受験からは多少の逸脱もしています。時間もかかります。体調が悪い中で勉強を進めるのは大変です。また、家族をはじめ、たくさんの人にご迷惑も掛けています。

大学受験・入学は通過点でしかありません。大学に入学し、大学院にも進学してどこかの研究室に入れてもらう。そこで確かな実力を発揮できるようにする、ここまでが近い将来の人生設計です。その後の就職は大学に入ってから考えたいと思います。もしくは、面白いことが思いついたら、私は好奇心の赴くまま、やって行きたいと思います。(もちろん経済的自立はしなければなりませんけどね)

さあ、この身体でどこまでやれるかレッツ・チャレンジです。またここで、いつも支えてくれている愛する家族をはじめ、今の私を構成する全ての過去・現在出会ってきた人々・できごと(無論病気にも)に感謝します。私は幸せものです。

パソ吉

2015年5月12日 初稿

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